
![+DESIGNING & Adobe Education Vanguards共同企画 [特別対談]永原康史×脇田玲](images/plus-d_top.jpg)
永原 脇田さんは最近話題の、オーギュメンテッド・リアリティ(AR=拡張現実)はどう思われますか?
脇田 はい。少しだけやってます(笑)。ARというのは、例えばゴーグルをかけて周りを見た時に、本来そこにはない映像や情報が、まるで実空間に存在するかのように見える技術ですね。この技術を使って、本を開くとそこに映像が出てくる、という研究を学生たちが進めているんです。その一方で、違うアプローチでも本の研究をしています。特殊インクを使った研究です。例えば温度で色が変わる示温インク、それから紫外線によって発色がオン・オフになるフォトクロミックインク。それらを使って、太陽の下でしか読めない本や、雨の日になると違うストーリーが読める本といったものを作る研究をしているんです。面白い事にARで同じことをやるのと、実際のインクでやるのとでは、あきらかに驚きが違う。経験の質が違うんですよね。ARは、新しい経験やユニークな質感を提供することにはあまり貢献しないと思っています。やっぱり、三次元といってもリアルではない仮想の映像ですから。
永原 その特殊インクを使った研究というのは、かなり実現しているんですか?
脇田 はい。実際に使っているのはマイクロカプセル技術として確立されたものなので。染料をどういう溶剤に溶かして、どんな条件で発色するかというのをオーダーすると、インクメーカーが作ってくれるんですよ。価格は高いんですけれど。ハイテクとローテクの組み合わせのようですが、今さら絵の具で本を書いている訳です(笑)。
永原 薬局のノベルティによくある、握ると温度で絵や色が変わる体温計。あれを使って本をつくったことがあるんですが……。
脇田 それと同じ技術ですね。マイクロカプセルを使った商品としては擦るとカプセルが潰れて匂いがするティッシュというのもあるんですよ。こんな風に視覚や嗅覚といった五感を刺激する本というのは、様々な可能性がある気がしているんです。本はインクと紙の組み合わせでできていますから――。
永原 ならば紙とインクそのものを拡張すれば良いという発想ですね。
脇田 はい。ARよりもその方が面白いんじゃないかなと思うんです。
永原 藤本由紀夫というアーティストの、読書をテーマにした展覧会を一式デザインしたことがあるんです。彼はときどき変わった要求をしてくるんですね。そのときは、匂いのするチラシと、音がするカタログを作りたいと。匂いがする方は簡単で、芳香インクを使って、バニラの匂いのチラシを作ったんですけれど(笑)。音は一番最後にやっと思い付いて。スーパーボブという段ボールの内側のような、表面が波打っている紙を使ったんですよ。爪ではじくようにこすると音が鳴るでしょ。早くこすると高い音に、ゆっくりこすると低い音になる。この波を音の波形に合わせてつくれば、「コンニチハ」っていうんじゃないかと(笑)。
脇田 可聴域の周波数を、そのまま形にするということですね。それは面白いです。田中浩也さんと一緒にやっていたデザイン言語実践という授業のなかで実習として扱ったことがあります。擦ると「ハッピバースディ」って声が聞こえる板を作る課題でした。
永原 できました?
脇田 できましたね。まあ、でもそれはハッピバースディという音が鳴ると意識しているから聞こえるのかもしれない。
永原 それは仕方ないですよね。言葉にはならないですから。
脇田 全く新しいものを作る時に、それはいったい何をするものなのか、どう使って欲しいのかを提案することもデザインの一部で、テクノロジーを普及させる過程で必ず必要なことだと思うんですよね。かつて、先行する知識なしに電話やカメラを見た人は「どう使うんだろう?」って悩んだ事だと思います。それが全部システムイメージのようなものに含まれていれば、デザイン言語として人に受け入れられると思うんですけれど。
永原 本当に新しいものは誰も使い道が分からないですからね。デザインした本人も何か分からないものというのが、結構たくさんあると思います(笑)。それをどう使うかを規定するのはデザイナーの仕事でもあるけれど、ユーザーの仕事でもあって、どの辺りまでをデザインするかというのはすごく難しいと思うんです。どこで手を離すかというのは、デザインにおいて、重要なポイントになっている気がします。実は僕はユーザー・センタード・デザインというのは信じてなくて。
脇田 信じてない、ですか(笑)。僕もあんまり信じていません(笑)。
永原 マーケット至上主義的なところがあって、マーケティングやユーザテストに従うのは、あるところまではいいだろうけれど、その先は行き詰まってしまう。だから、分からないまま放置しておくというのも重要なんじゃないかなと僕は最近思うんです。
脇田 僕もそれはよく思います。例えば、ピアノは叩けば音が出る。それは分かるんですけれど、それ以降は未知数じゃないですか。それがピアノの無限の可能性に繋がっていくんだと思うんですよね。コンピュータも一緒で、もっと自分で未知の部分を開拓していけたり、分からないことを考え続けさせる要素があっていいんじゃないかと。新しいメディアというのは、実はそれを担っていると思うんですよね。デジタル・デバイドの問題もありますけれど、もう一方ではあえて、未知なる部分を追究していくという要素があっていいと思うんです。
永原 ピアノの話を続けると、アップライトピアノが19世紀かな、アメリカで爆発的にヒットしているんですよ。南部や西部の田舎町まで、でこぼこ道をほろ馬車で運ぶんですが、そのせいで調律が狂う。でも、調律ができる人もいないから、そのまま弾く。すると、そこからホンキー・トンク・ピアノという、ちょっとチューンが狂ったピアノが生まれた。
脇田 興味深いエピソードですね。
永原 それは弾いている人には分からないんですよ。でも、耳のいい、たぶん東部のミュージシャンたちが聞いて、「カッコイイ」と思った訳ですよね。そういうのは偶然じゃないですか。リサーチされて「ちょっとチューニングが狂った方がカッコイイと思います」っていった訳じゃないんですよね。そういう偶然があって、偶然を発見する知性がもう一つ別にあって、それが出合った時に新しいものの発見がある。やっぱりどこか放置しておくというのが必要なんじゃないかと。
脇田 そうですよね。
永原 もう標準のインターフェースになっていますけれど、携帯のテンキー文字入力なんかも、奇妙ですよね(笑)。でも、みんなこれを使いこなしていますよ。普通のキーボード入力よりも早い人までいて。明らかにデザインよりも人間の方がすごいですよ。
脇田 僕もそこは思うところがあるんです。車が好きで、1日100キロもかけて大学と家を往復しているんですけれど(笑)。車も効率よくシフトチェンジするためのヒール&トゥとか、ヌヴォラーリが産み出したと言われているドリフトとか、当時想定していなかったテクニックが生まれましたよね。つまり、テクノロジーとデザインという関係の次に、テクニックとデザインという関係がある気がしているんです。多分、テクノロジー(technology)がテクニック(technique)を育てるんだと思います。それがまた新しいプロダクトへのヒントになったり、行為そのものが目的になっていくというところがあるんじゃないかと。それはやっぱり人間の身体があるからなんですよね。
永原 そう思います。
脇田 テクノロジーに関しては、僕はそういう意味ではすごくポジティブに考えていて、人間の新しいスキルやテクニックを開拓するためのハードルなんだと(笑)。新しいものができたら、使いづらいなと思うんですけれど、そこで悩んで試行錯誤をしていく中で、新しい遊びなんかを発見していく。多分デジタルというものに関しては、かなり遊びの過程を経てきていると思うんです。新しいメディアやテクノロジー自身を作っていくというのも自分の研究の役割だと思います。