

Adobe® Creative Suite® 5の発表を記念し、表参道「The Gallery」を舞台に、Adobe CS5の魅力や情報教育、デザイン教育のあり方を様々な角度から紹介する、Adobe Education Vanguards主催セッション。その第2回目が、2010年5月23日(日)に開催されました。その様子をレポートします。 この日登壇いただいたのは、慶応義塾大学 環境情報学部 准教授の脇田玲先生と、脇田先生のもとで学び、現在はクリエイターとして活躍する卒業生の方々。「デザインエンジニアの養成」と題して、多くの人材を輩出する慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)での学びの風景や、授業への思いを語っていただきました。
セッションの前半は、脇田玲先生のプレゼンテーションです。アドビシステムズの山崎真湖人を聞き手に、SFCにおけるデザイン教育のあり方、そして脇田研究室での研究開発と教育の実態についてお話いただきました。SFCには総合政策学部および環境情報学部、看護医療学部の3つの学部と、政策・メディア研究科および健康マネジメント研究科の2つの大学院がありますが、その研究・教育内容は学部の壁にとらわれないものであり、文理が融合した幅広い分野の個性的な研究室が集まっています。脇田先生からは、この日のプレゼンテーションの前提として、先生が所属する環境情報学部、および政策・メディア研究科のX-Designプログラムの概要、情報分野・デザイン分野で卓越した研究成果をあげている教員陣などが紹介されました。
セッションの前半は、慶応義塾大学 環境情報学部 准教授の脇田玲先生に登壇いただき、SFCの教育について、また「デザイン言語」という思考方法についてなどをお話いただいた
現在はみずからの出身校でもある慶応義塾大学に籍を置き、おもにヒューマンインターフェイスや3次元CAD、スマートマテリアルを研究されている脇田先生ですが、初めから研究・教育者としてキャリアをスタートさせたわけではありません。会場では、1997年に環境情報学部を卒業後、3D-CADのベンチャー企業に勤務し、独立後はメディアアーティストとして活動、2004年に現職に着任されるまでの先生ご自身の軌跡が、当時手がけた作品とともに紹介されました。
「ベンチャー企業に勤務していた時代は『表』と『裏』の2つの顔を持っていたんです。『表』のほうは、社員わずか5人程度のベンチャー企業の社員としての顔。一方、個人的にはWeb 3Dとビジュアライゼーションに興味を持っており、『週末メディアアーティスト』としても活動していました。これが『裏』の顔。そのうちに『裏』のほうが面白くてどんどんふくれ上がっていき、独立しておもに3D-UIを開発するような業務を個人で行っていました。そうこうするうちに、古巣であるSFCからお話を頂き、現職に就いたわけです。」
スクリーンでは、その頃先生が開発に携わった様々な作品が紹介されました。横浜・元町商店街をモデルにVRML技術を用い、立地/店舗/商品という階層構造を取り払われた多種多様な情報が描き出す、360°の情報トンネルを通って買い物を楽しむ「Infotube」。銀座の町の様々な断層を透視しながらフライスルーする「City Tomography」。宇宙や星座のメタファーを巧みに使い、アクセス履歴を立体的に可視化した沖縄県の文化・産業デジタルアーカイブ「Ryukyu ALIVE」。使われている技術こそ古いものもありますが、情報の構造化やビジュアライゼーションという観点からみたこれらの作品は、今でも新鮮に映ります。学生にこれらの作品を見せることもあるそうで、きっと大きなモチベーションアップに繋がっていることでしょう。
慶応大学着任前に、脇田先生が手がけられた作品も会場で披露された。画像は順に、Infotube(松本文夫、松川昌平、脇田玲、による共同製作)/City Tomography(松本文夫、脇田玲、による共同製作)/Ryukyu ALIVE
このような経緯を経てSFCに戻った脇田先生を待っていた仕事が、デザインの基礎課程として設置されていた「デザイン言語」という科目群のてこ入れでした。「デザイン言語」は本セッションの大きなトピックスであり、2009年11月に上梓された脇田先生の著作『デザイン言語 入門-モノと情報を結ぶデザインのために知っておきたいこと』も話題を呼んでいます。この日は、この「デザイン言語」という考え方と、その前提となる社会動向について、じっくりとご説明をいただきました。
SFCでは、言語を「問題解決のためのツール」と捉え、我々が日常生活で使う日本語や英語などの「自然言語」と、プログラミング言語などの「人工言語」、それに「デザイン言語」を加えた3つの言語分野を設けて、基礎教育の根幹に位置づけているそうです。それにしても、デザイン言語とはどういうものなのでしょうか。
「私も最初に説明を聞いたときはさっぱりわかりませんでした(笑)。それでもう一度自分で勉強するところから始めて、自分の専門が情報でもあることだし、情報という視点からデザインを見てみようというアプローチを取ることにしたんです。また、そもそも言語というのは『意味を作り出す記号体系』ですよね。であるならばデザイン言語も、色や形を使って意味を作り出したり、作り出されたものから意味を引き出す記号体系であり、つまるところ『コミュニケーションの問題』として捉えられるのではないかと考えました。」先生からはさらに、多くの先駆者によって提唱されてきた「デザイン言語」の定義も紹介されました。
「デザイン言語」とは、一方では作り手と使い手のコミュニケーションを媒介する「コミュニケーションの作法」であり、もう一方では作り手の内なるコミュニケーションを媒介する「創作のメタ言語」でもあるという脇田先生
「まず、スタンフォード大学のテリー・ウィノグラードによる定義。それは、モノを作るデザイナーと使うユーザーがコミュニケーションするための、視覚的・機能的な言語だというものです。例えばプリンターを使う場合に、どのボタンを押せばトナーが交換できるかといった機能はプリンターメーカーによって統一されていて、ユーザーは特に教えられなくても機械から情報を引き出していけますよね。こういった機能的な言語がデザイン言語であると。同様のことは、建築家のクリストファー・アレグザンダーによる『パタンランゲージ』や、それをケント・ベックたちがソフトウェア開発に導入した『デザインパターン』という考え方のなかでも述べられています。つまり『こうすればうまく行くよ』というノウハウを蓄積しカタログ化して、新しい行為に生かせるようにしたものを、デザイン言語と考えるという流れですね。」
これを一面とするなら、デザイン言語にはもう一つの面もあるだろうと脇田先生は言います。「実際にモノづくりを進めていく場合、作り手の内部では、思い通りのイメージにたどり着くまでの間に『ああでもない、こうでもない』という感覚的な試行錯誤、言葉にできない思考過程が働いています。こうした経験から獲得された要素やルールのまとまり、すなわち『創作のメタ言語』もまた、デザイン言語と言えるでしょう。」
デザイン言語とは、モノを介して作り手と使い手のコミュニケーションを媒介するものであり、モノづくりを行うデザイナーや開発者自身の内部で行われているコミュニケーションを媒介するものでもある。このような2つの考え方を基礎に、脇田先生のデザイン言語教育が行われていることがわかってきました。続いて先生のプレゼンテーションは、こうした「デザイン言語」教育を行ううえで前提とした、2つの大きな社会動向の分析へと向かいます。
「というのも、デザイン言語を用いて何をするのかと言えば、これからの社会で活躍する人材を育成したいわけです。そこでは、これからの社会がどう変わっていくのかが重要です。バウハウス誕生の背景に産業革命が存在したように、今後のデザインには現在の情報革命が影響を与えていくことになるでしょう。」
そこで先生が重要と考えている、2つの大きな時代背景が「ユビキタス・コンピューティング」と「パーソナル・ファブリケーション」です。この2つの流れが今後さらに加速していくことを前提に、そこで必要になるスキルを育成していくことが、脇田先生の目的だといいます。
「ユビキタス・コンピューティングとは言うまでもなく、マーク・ワイザーが提唱した『小型化されたコンピューターが日常生活のあらゆるモノや空間に遍く入り込み、サービスを提供する』という考えです。それが進行すれば、人間はコンピューターの存在を意識せず、その支援を受けながら活動するようになるはずです。また小さなコンピューターが組み込まれたモノが相互に情報をやり取りし、『考えるモノ』として振る舞うようになるでしょう。このとき、キーボードやディスプレイといったインターフェイスは『消える』ことになります。」
コインサイズのコンピューターが開発され、冷蔵庫などの家電製品にマイコンが組み込まれている現在、その実現は目の前に近づいています。そのようなユビキタス・コンピューティング社会においては、デザイナーがデザインする対象も現在とは変わってくるだろうと脇田先生はいいます。
「身の回りのモノすべてが相互に連携し、情報を発信するようになれば、デザインも単体のモノを作るだけでは済まなくなります。人間と周囲のモノ・環境との相互の働きや、そこで提供されるサービスといった、インタラクションの全体像にまで目を向ける必要が出てくるのです。」
身の回りのあらゆるものにコンピューターが遍く存在する「ユビキタスコンピューティング」を、その語源に遡って説明する脇田先生。その本来の意味から考えれば、携帯電話の普及をもってユビキタス社会と称するのは商業主義的な誇張に過ぎない
「もう一方のパーソナル・ファブリケーションのほうは、ニール・ガーシェンフェルドが提唱している、いわばモノ作りの革命です。様々な工作機械が小型化し各家庭で利用できるようになることで、モノ作りが個人へ回帰していくのではないか。モノから情報(コンピューター)へと動いていた社会が、再び情報からモノへ軸足を移しつつあるのではないかという見方があるんです。その背景には、3Dデータや回路など、あらゆるものを高速にプリントするプリンター技術の大幅な向上があります。それが非常に安価になり、20万円台のパーソナル向け製品も登場している。このままでいけば50~60年後には、例えばウェブショップで扇風機を買ったら、商品が届くのではなくデータをダウンロードして、手元のプリンターで出力して使うという時代が来るのではないか……。」
まさかそんな、と思いそうな話ですが、パーソナルコンピューターのことを考えてみれば、夢物語ではないとニール・ガーシェンフェルドは言っているそうです。確かに、倉庫いっぱいのスペースを必要とした黎明期のコンピューターが登場したのは、わずか60年ほど前のこと。当時の誰が、現在の「一人一台」というパソコンの普及ぶりを想像できたでしょうか。
モノの「形」は3Dプリンターの普及により、「中身」はフィジカルコンピューティングの普及により、現実にパーソナルファブリケーションの波がすでに訪れているという脇田先生。会場でも、複雑な形状が実際にプリントされた見本が紹介された
「カタチを作ることと同時に重要なのが、中身を作ることですね。こちらのほうも、例えばフィジカルコンピューティングなどでも活用されているマイコンボードキット『Arduino』などが登場しています。これを使えば、Adobe® Flash®やProcessing、Max/MSPといった、デジタルコンテンツのクリエイターが使い慣れた言語でプログラミングができて、部屋の照明を消したり、エアコンをONにしたりと環境を操作できる。こうした流れがさらに普及すれば、リテラシーという言葉の意味も変わってくるでしょう。」そもそもリテラシーとはルネッサンス時代には、周囲の環境や自分のスキルなどあらゆるものを駆使する能力、万能なものづくり術を指し示していた、と脇田先生。