突然の海外赴任
九州芸術工科大学での研究で成果を挙げた白石先生は、その後突然、韓国・釜山に赴任することになります。
「韓国でもこれから、“デザインするだけではなく分析する能力を育成しなくてはいけない”という話があったようです。韓国におけるデザイン教育は大学の学部の技能を中心としたカリキュラムから、修士課程や博士課程の研究といったところまで広がってきてはいたのですが、そこで何をやるかということは、まだ模索状態だったようです。そこで、(韓国のデザイン教育のために)私を韓国に送り込もうという話があったらしく(笑)、いきなり海外赴任になってしまいました。」
突然韓国に引っ張られ、大学でデザインを教えることになったのですが、言葉は何もわからない状態。授業には、自動翻訳機を使っていました。
「卒業作品制作の授業を担当するようになってから、無理を承知で学生と個人面談を始めました。あなたは何を作りたいのかと聞いて、スケッチを描きつつしゃべってもらう。そうすると、この言葉がこのスケッチなのか、ということがわかってくるのです。それで韓国語を覚えていきました。もちろん語学のテキストも使いましたけれど、2年間続けたらだいぶ話せるようになりましたね。また、その大学の仕事で上海や北京などにも行って話す機会があって、外国が怖いという感覚はなくなりました。」
韓国では3年弱の時間を過ごしましたが、得難い経験であったと白石先生は振り返ります。
「言葉のわからない世界で、意思を伝えなくてはいけない。伝える方法を、原始的なところから探っていかなくてはいけない。そのような中で教えるという意味では、他の人には無い経験を得られました。言葉を飛び越えたコミュニケーションは、もしかしたら日本人の学生と教える側の間でも必要ではないかと思います。デザインの専門用語をいきなり大学1年生に言ってもわからないし、ポカンとしてしまうのです。そのときに、もっとデザインの専門用語以外に、プリミティブなコミュニケーションをとりながら、伝わっているか確認をとりながら、授業を進めなくてはいけないのではないでしょうか。」
研究室の本棚には韓国語の本も並ぶ
インターフェイスではなく、インタラクション
その後、白石先生は日本に帰国し、武蔵野美術大学デザイン情報学科でインターフェイスデザインの授業を担当することになりました。白石先生は、インターフェイスデザインよりも「インタラクションデザイン」という言葉を好んで使います。
「初めてインターフェイスデザインを学んだとき、日本のインターフェイスデザインの考え方は、ずいぶんプロダクト寄りだと感じました。ある機械やコンピューターが存在して、人間がいて、その間を取り持つという意味合いが強いと思います。コンピューターに人間の意思を伝えるための入力装置というより、気持ちであったりニュアンスであったり、イメージといった物を伝えるものであっても良いのではないか、(デザインの対象が)プロダクトでなくても良いのではないかと私は思うのです。機械を触るための画面やGUIではなく、機械が人の動きを見ていて、それに反応するということがあっても良いのではないかと。インターフェイスという言葉は、それ自体が表面的と感じるので、機械と人との関係に関する、より広い対象を扱うという意味で、あえてインタラクションデザインという言葉を使っています。」
Physicon(志内幸彦)
スクリーンに相対する人の動きをカメラで検知して動作するインタラクション作品。スクリーンに向かって指させば、その指に反応する。直感的に操作し、楽しむことができる


